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麻の文化

日本で「麻」と言えば、一義的には大麻を指します。しかし今では、広く長繊維の植物性繊維の全般を「麻」と呼ぶようになったので、その意味では、ここにある糸や布は、全て「麻」です。
"身の回りにある草や木から繊維を採り出し、手と知恵を使って生活に必要なものを作る" 手績みの糸には、この人の暮しの原形がそのまま表れています。ここにある糸や布は皆、アジアの周辺の国々に受継がれ、今も、少しも変わることなく作られているものばかりです。
「麻」に含まれる植物の種類は多く、皆別々の植物なので、その形状も性質も、採取方法なども大きく 異なります。それでいて「麻」としての共通項もある。"違いを違いとして見極め、それぞれに過不足なく対応しながら、「麻」として使いきる" 生きるための知恵に無駄はありません。

大麻の種子 大麻の種子(縄文時代前期)
苧麻の種子 苧麻の種子(縄文時代早期・草創期)

画像提供:福井県立若狭歴史博物館

これは福井県鳥浜貝塚から出土した大麻と苧麻の種子。
共に日本人がその繊維を最も良く利用して来た二種類の麻です。
中央アジア原産の大麻が日本に伝わったのは、遅くとも1万年前。
アフリカから世界中に広がった人類の移動に伴って、定住と移動を繰り返しながら、およそ1万年という歳月をかけて日本に辿りついたと考えられています。人類が新天地を求めて移動する時、手にしたものが繊維用の「大麻」だったのです。大麻は人の居住地近くに生える一年草。移動が可能だったと思われます。それを裏付けるように、鳥浜貝塚からは縄文時代草創期の大麻の縄が出ています。
この大麻伝来の道の一つが、中央アジアから中国に入り、朝鮮半島を経て対馬に伝わったルートです。この道に添うように、中国山東省の大麻、韓国安東の大麻布、対馬麻があるのも肯けます。
中国・韓国・日本、三つの国の麻の文化の強い繋がりを示す事柄だと思います。

こうして見ると、人の歴史は大麻と共に始まったと言っても過言ではありません。
しかし、今、この事が人々に意識されることはほとんどありません。
近代化によって、人の手で繋いできた麻の文化が、表面上、社会からほとんど姿を消してしまい、ごくわずかに残るものも、絶滅の危機にさらされているからです。
しかし、この危機を脱する手立ても又、私たちの手の中に受継がれているのではないかと考えています。
何しろ、私たちは未知の世界に果敢に挑み続け、稀有な経験と技術を蓄えて、日本まで辿りつくことの出来た人々の子孫なのですから。