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日本の大麻布 4

2020/02/15
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[望陀布(もうだふ) 1]

「望陀布」は「ののとうじん」と何か繋がりがあるのではないだろうか?” とふと思った。

対馬の豆酘(つつ)の阿比留(あびる)氏のルーツは上総国だという。

望陀布は奈良時代に、養老律令の下で、上総国・望陀郡(現在の千葉県木更津市・袖ヶ浦市付近)で織られていた広巾の麻布である。

その当時、阿比留氏と同じ音の畔蒜(あびる)郡が望陀郡の隣に確かに存在した。

他国の一般的な調布の規格が、巾:二尺四寸(71cm)・長さ:二丈八尺(8.3m)であったのに対して望陀布は、巾:二尺八寸(83cm)・長さ:四丈二尺(12.4m)と決められていた。(令の一尺が29.63cmであるのは、ののとうじんの布巾と一致する。)

又、望陀布の糸は格段に細く(経緯共に22/cm)、他国の糸の半分以下の細さであった。これ程の布を相当量、腰機で織ったとすると、望陀布はかなり高度な織の技術を有していたと考えられる。

天皇の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)や、遣唐使の献上品、東大寺への進上品など特別な用途に使われた望陀布。藍や茜等で染めた布もあったことを、木簡や古文書が伝えているが、特定出来る布は現在まで見つかっていないという。素材は復元を試みた袖ヶ浦市郷土博物館では「苧麻」としているが「大麻」ではないのだろうか?

正倉院の御物の中の、国府のあった市原郡から納められ、大仏開眼供養で使用された「紅赤布」は、望陀布と同等の物とされている。この素材は正倉院の繊維材質調査報告によれば「大麻」とされる。染料は紅花である。

国の威信を懸けた一級品の布が、経緯共に22/cmの織密度なら、素材はやはり大麻だと思う。苧麻なら、もっと細い糸も容易に出来るはずだからだ。

さらに、上総国は元々阿波忌部(あわいんべ)氏が拓いた国。忌部氏は古くから中臣氏と共に宮廷の祭祀を司った氏族で、ヤマト王権成立に貢献した。要所に部民を置き、特に、阿波忌部は大麻と木綿(ゆう・楮)を朝廷に貢進する役割を担っていたため、早くから良い麻(大麻)の産地を求め、黒潮に乗って房総半島の南から移民や開拓を進めた。安房国に続き、上総国は「よき麻の生きたる土地」という意味の「捄国(ふさのくに)」と称されたのが始まりとされる。後「上捄」と「下捄」に分かれ「かみつふさ」「かづさ」「かずさ」となった。

「捄」は、キュウ・ふさと読み、盛る・かき集めるの意味である。麻の古称だというが、「捄」に麻の意味はない。しかし同じ音のキュウ・ソウ・コウと読む漢字に「皀」がある。

「皀」と同じ意味で、ソウ・くろと読む「皁」もある。「皁」は「草」と同じ字という。

「草」は意味を表す艸と早からなり、早が音を表し、とちの意味の橡(しょう)から来ている。草の字は橡(とち)の実(どんぐり)を意味する。後、草の原義が廃れ、艸の意味に用いられるようになったので、皁の字がどんぐりの意味に用いられるようになった。黒の意味に用いるのはどんぐりで物を黒く染めたからである。

旧字体の「總」は、ソウ・ふさと読み、旁の部分が音を表す。集める意味の語源聚(しゅう)から来ている。ひいて広く束ね集める意味となった。

訓読みの「ふさ」は、糸を集めて一か所で締め括った物の意味だが、大麻の野生種・野麻(ぬさ)に対する栽培種・圃麻(ふさ)という説もある。圃は、畑()にその境(□)を加えた字。

「草」=「皁」ソウ・くろ「皀」ソウ、コウ、キュウ「捄」キュウふさ「總」ソウ・ふさ「総」ソウ・ふさ と、順々に韻をふんでいくようで興味深い。

中国では、生平麻を「皀細夏布(こうさいかふ)」、どんぐりは「皀斗(こうと)」と呼ぶ。

これも又、大変興味深い。