青土 青土

お知らせ


追悼 吉岡幸雄先生 1

2020/03/19
未分類 , , ,

“「績むの世界」を大事にせなあかんよ。

布が無かったら、私たちは染められんのだから。”と、

いつも、背中を押していただいた。

残された宿題は、あまりにも大きい。

頭上から、“がんばりや”の変わらぬ声が 聞こえてくる。

____________________________________________________

神に捧げる純白

久しぶりにアメリカ合衆国のボストンとニューヨークへ
出かけた。美術館で名品の数々を観るためである。

とりわけニューヨークのメトロポリタン美術館で、エジプトの部屋の鑑賞に時間をさいた。いつもながら美しい発掘調査の成果が見事に展示してあって、見応えがあった。時間がまたたく間に過ぎていく。なかでも、私は埋葬されたミイラを巻いた麻布に魅せられる。

古代エジプトでは、衣類といえば麻しかなかったといってもいいわけで、清浄な白い麻布は、高貴な人びとも、庶民も着用していたのである。そして墳墓(ふんぼ)に葬る死者の身体に白い麻布を巻きつけた。

麻はまさしく聖なる衣服であったのである。それは古代の日本にもあてはまる。

伊勢神宮では二〇年に一度、式年遷宮(せんくう)が行われてきた。式年遷宮では、伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)のふたつの正殿(せいでん)と、一四ある別宮(べつぐう)の社殿をすべて造り替えて神を遷(うつ)す。持統四年の六九〇年にはじめられて、前回の平成五(一九九三)年で六一回を数える。

私の染工房も、遷宮に使われる絹布の染色のお手伝いをさせて戴いたため、前回の遷宮が無事終了した際に、神宮司庁(じんぐうしちょう)から礼状とともに、小さな桐の箱に入れられた記念品が届けられた。箱は白い和紙で包まれていて、上には水引のように白い麻の緒(お)が結ばれていた。

贈答品を包装する紙にかける飾り紐である水引は、祝いごとには紅白や金銀が、弔事には黒白や黄白で結ばれることが多い。

しかし、伊勢神宮からのそれは、白い麻の紐であったことが古式ゆかしく印象的であった。

水引という言葉は、麻などの靭皮(じんぴ)繊維〔表皮のすぐ内側にある柔らかい皮のこと〕を採るときに、水に浸してから引きあげ、外皮を剥ぐことに由来している。古代の日本には木綿、羊毛などの繊維がまだ伝播(でんぱ)していなかったため、麻や、山野に自生する楮(こうぞ)、藤などの樹皮を細く裂いて糸として、機(はた)にかけて布を織りあげ、衣料にもしていたのである。こうした樹皮の内側を用いる繊維には、植物の茶色いタンニン酸が含まれている。

現代は紙、タオル、衣料など真っ白な色をあまりにも日常に眼にしていて、なんの不思議も感じないが、化学漂白剤が海外から入る江戸末期までは、生成(きなり)色の自然の色がついた植物繊維から、純白な糸を得るのは容易ではなかった。

まず木灰で煮て、繊維を柔らかくするとともに、不純物を洗い流す。それを晒(さら)して純白を得るためには、太陽の紫外線に当てるといいことを日本人も古くから知っていた。

沖縄のように海が近いところは、海面すれすれに布を張る。これを「海ざらし」という。良質な麻を産する新潟県越後地方では、深い雪がとけはじめる三月頃に、残雪の上に布を敷き、春光を浴びさせる「雪ざらし」という手法がある。

また、東京都の西を流れる多摩川、奈良と京都の県境近くの木津川の周辺では、川辺の白砂の上で「川ざらし」、あるいは茶畑の上に布を敷く「丘ざらし」で太陽に晒していた。

神に捧げる純白で無垢な布帛(ふはく)は、こうした知恵から生まれた。人間は華やかな色を染める以前に、まず白を発見しなければならなかったのである。

____________________________________________________

出典 : JALカード会員誌「AGORA 」2011年1月号より