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追悼 吉岡幸雄先生 2

2020/03/24
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“「なんとざらし」や” ルーペを覗きながらそうおっしゃった。
昨年の9月始めに、奈良晒の朱印のある布裂をお持ちして、朱印の横の墨書きを読んでいただいた。朱印とは逆向きに「ナム斗さ羅らし」と書かれている。

「奈良晒」は近世奈良を中心に織られた自給用の織物とは異なる「商品麻織物」である。
徳川幕府の庇護の下で、武士や富裕な町人の裃等の礼服用、ないしは帷子の衣料用として発展した。最盛期には、年間30 〜40万疋もの生産量を誇ったという。
素材には、越後や最上産の上質の青苧が使われ、“細緻絹の如し“と謳われたが、評価を高めた最大の要因は“潔白雪の如し”と言われた晒の技術の高さであろう。
慶長16 年(1611年)に、家康の命により尺幅を検査し「南都改」の朱印を捺すことが定められ、朱印の無い晒布の売買が禁じられた。

朱印は、次のように捺されている。

朱印の真ん中に「南都曝()平大工曲」と有り、右側に布の長さ「六丈七尺五寸」が、左側に亘(わたり:渡す・通す=)「壱尺壱寸」が印されている。

(生地提供 :リメイクデザイナー/森川恭子さん)

「平」は「平布」「生平布」で、奈良晒では通常、経糸のみに撚りを掛けた布のことを言う。しかし、既に衰退の一途を辿っていた幕末安政年間に、極細の糸で、経・緯共に無撚りの、最上級の「極上御召晒」も織られていたと聞く。
この布裂には経・緯共に撚りが見られない。もしかすると、その「極上御召晒」の内の1枚なのかもしれない。

「大工曲」は曲(金)尺のこと。主に大工が使い、金で作ったことに由来するという。通常、尺と言えば曲尺を指す。当時、流通していた曲尺は、永正年間(1504〜1521年)に、指物師又四郎が考案した「又四郎尺」で、一尺は30.258cmである。晒後の寸法を朱印で印した。
長:六丈七尺五寸=20m42.42cm
亘(幅):壱尺壱寸=33.28cm

今、改めてこの朱印に触れていると、あの時の先生の言葉がまざまざと蘇って来る。